最近、「仕事が趣味。」と言えるようになった。
「私の仕事は、ライターだ。」とも言えるようになった。
ベルリンでは「作品で食えないアーティスト」が「自分の本職はアートだ」という誇りを持ち続けているように、私も誇りを持ち続けたいと思う。
(Twitterで高田ゲンキさんが発信されていたこと。本当にすばらしいお話だと感じていて、いつのまにか自分に置き換えて、気合いが入っている。)
私もまだ1年目で、この先ずっと「食っていける状態」にはなっていないけれど「私はライターなのだ」と、胸を張って言える。
前回、「つらかったことがあったけど、うれしいことの力が大きかった」という記事を書いたのだけど、ありがたいことにとても心配していただいた。あたたかい気持ちに胸がいっぱいになった。
https://note.com/embed/notes/n057edc92fcb1
とともに、私が伝えたかった「うれしさ」よりも、「つらさ」のインパクトが強く残ってしまったのが、気になった。「つらかった」というネガティブな印象が、ひとり歩きしてしまう記事になってしまったのではないだろうか。
その日は確かに記事の通り、大きなダメージを受けていたのだけれど、その日の夜は、別の記事をわりと楽しく書けていた。
私は「メンタルが弱いのだけど、異常な回復力がある」と自分を分析している。落ち込んで死ぬかと思っても、違うことを考えていると、いつのまにか復活する。(いわゆる寝たら治る。)
あの日ことも、気持ちが落ち着いてから書いていたつもりだったのだが、当時の感情を正確に伝えようと思って記事に向き合っていたら、思いのほかシリアスになってしまった。やっぱり書いているうちに、思い出してしまうものなのだと感じた。ただ、その情熱が消える前に思い切って書いたこともあってか、共感してもらえた人が多く、過去最高の「スキ」を頂けた。少しあの時の自分が救われたような気持ちにもなっている。
感想をいただいた中で、「勇気づけられた」と言ってくださった方がいた。それはまさに、これから私が書いていきたい記事だ。そのうれしい言葉をもらえただけで、この記事を書いてよかったのだと心から思えた。
私は、自分が体験したこと、知っていることを発信して、誰かの力になりたい。そう思ってライターをしている。(と、プロフィールにもこっそり書いている。)これからは、それを実現できるように自分で動いていきたいと思っている。
書く事を仕事にしてから、書く事で注意されたり、書く事で落ち込んだりすることもあるけど、やっぱり楽しいし、今の私の「趣味」なのである。
だからきっと、明日も書くし、明後日も書く。
一カ月後も、一年後も、おばあちゃんになっても。
自分の文章で勇気づけられる人が一人でも増えるように、「書いて届ける力」をつけていきたい。